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2022/03/17
本サイトで「展示」(コンテンツページを作成)した松本零士作品は、今までFacebookページに「解説のようなモノ」を書いて発信していたのだが、その駄文を本コンテンツ用にアレンジして書くと宣言したのが昨年(2021(令和03)年)の元旦で、相変わらず作業と更新が滞ったままだ。
これは本サイトだけに留まらないが、”アレもコレも絶賛試行錯誤中”であるから、ある程度短期的な運営方針を決め、一旦「1000年女王祭り」は中断し、今まで貯まりに貯まった本コンテンツに掲載すべき駄文コラムを執筆することにする。
本サイトはPukiWikiを利用しており、独自開発のライブラリとプラグインをブチ込んで改造しまくっているため、ぶっちゃけ展示ページを作成して展示作品を増やす方が簡単だ。
むしろ、こういったコラムを執筆する方が大変で時間がかかるが、本サイトはネット上の単なる「松本零士作品データベース」にするツモリがないため、読み物としての記事も充実させる必要があるのだ。
前作の劇場版「
この記録は長らく邦画アニメ第1位の座に君臨したが、それから2年後、原作マンガが無い中で企画・製作されたのが本作映画だ。
当時も今も、999ファンの中でも前作と人気を二分するほどの完成度と内容で、私も大好きな松本零士アニメである。
劇場公開は1981(昭和56)年08月01日で、1981(昭和56)年度邦画配給収入第8位、配給収入は前作に及ばないものの、11億5,000万円を記録した。
元々「銀河鉄道999」は、「宇宙海賊キャプテンハーロック」と共にアニメ企画として売り込まれたモノだったが、アニメにはならずに週刊『少年キング』から連載依頼があって、マンガ連載からスタートした経緯を持つ。
そこに「宇宙戦艦ヤマト」ブームの到来があり、マンガ連載中に人気に火が点いてTVアニメ化が決定し、先にTVアニメが終了してから原作のマンガ連載が終了するという、これまた例を見ない展開であった。
原作マンガとTVアニメの星野鉄郎は、設定年齢が10歳であり、原作マンガをほぼ忠実にトレースしたTVアニメでは、主に小学校低学年をターゲットにしたと思われるが(ゆえに、内容的にも勧善懲悪的な道徳的要素がふんだんに盛り込まれている)999がブームになると、実はターゲット層(小学校低学年)よりも上の年齢層(小学校高学年~中学生)からの支持が多いことが判明したようだ。
そこで、劇場版「
本作は前作から2年後の物語で、原作のマンガやTVアニメ、そして前作の劇場版アニメでも明かされなかった「機械化人間の秘密」や、鉄郎の父親の謎といった部分を取り上げた内容になっており、次に続く「新竹取物語 1000年女王」(劇場版は「1000年女王」)の後の歴史的内容がちゃんと設定に織り込まれている。
本稿では、当時を知るファンから、作品自体を知らない人までを想定しつつ、アニメコミックスを展示した際にFacebookページで書いた内容をベースに、独自解釈による「解説のようなモノ」を書いてみたい。
この1巻の最大の見せ場は、それまで地球を支配していた機械化人と生身の人間との戦闘によって廃墟となったメガロポリスステーションで、鉄郎が999号に乗って飛び立つシーンだが、執拗な機械化兵に最後まで邪魔され、やっと999号に乗ったのもつかの間、機械化兵が線路のポイントを切り替えてしまう。
そこでもう倒れたかと思っていた老パルチザンが最後の気力を振り絞って機械化兵を倒し、線路のポイントを正常に戻す。そしてその老パルチザンのモノローグが最高に良い(この点を評価するファンは多い)。
鉄郎・・・
いつかおまえが戻って来て地球を取り戻した時・・・
大地を掘り返したら わしらの血が流れ出すだろう・・・
ここは我々の星だ 我々の大地だ
・・・その赤い血を見るまでは・・・
死ぬなよ・・・
わしらの・・・せがれよ・・・出典:『さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-』01巻(講談社アニメコミックス・1981(昭和56)年09月17日 第1刷発行)
超ベテラン声優の故・森山周一郎氏が、映画の冒頭で登場して消える名もなき老パルチザン役をやるというのも驚きだが、この贅沢かつ重要な役どころは、上記のセリフに込められていると言って過言ではなく、むしろ森山周一郎氏だからこそ説得力のある演技とセリフであると思う。
上記の「地球」を「日本」に置き換えれば、松本零士先生の意図が正しく読み取れる。
すなわち、この老パルチザンは大東亜戦争で散華された名もなき我々の先人のメタファーであり、事実、日本や東アジア各地の大地を掘り返したら、英霊の赤い血が流れ出すだろう。
現在の圧倒的大多数の日本人が無関心で知ろうともしない、目には見えない赤い血が。
2巻では最初の停車駅として惑星ラーメタルに停車する(「ラーメタル」でピン!と来たら、アナタは松本零士マニア)。
そこでパルチザンとして参戦しているアンドラード星のミャウダーと出会うし、この出会いがポイントだが、それは後の伏線となる。そしてメーテルが999号に乗車するのだ。
意想外なメーテルの申し出にワケワカラン状態で鉄郎は混乱するが、いきなり黒騎士ファウストが登場する。その流れで対決することになるが、この黒騎士のセリフが、今思えばなかなかに哲学的だ。
お前は限りある命の素晴らしさを信じて旅をしている
しかしそれは絶望に向かって旅を続けているのだ
もうすぐその絶望をいやというほど味わう時が来る出典:『さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-』02巻(講談社アニメコミックス・1981(昭和56)年09月30日 第1刷発行)
・・・深いですな。
黒騎士の名前が「ファウスト」というのがミソでもあるが、これはゲーテの『ファウスト』を読んだことがない人にとっては、その意味するところがちっともサッパリまったくワカランと思う。
ちなみに、マンガの神様・手塚治虫は、この『ファウスト』のマンガ化に3度挑み、3作目(3度目)の「ネオ・ファウスト」が絶筆で、未完である。
『ファウスト』は、ゲーテがその一生をかけて書き上げた作品なだけに難解ではあるが、知識と理解力がなければ、アニメ作品であっても理解が難しい証左であると言えよう。
惑星ラーメタルを後にした3巻では、終着駅手前の惑星モザイクに停車する。その次が終着駅の機械帝国の首都がある惑星大アンドロメダだ。
惑星モザイクでは列車から出た鉄郎が幽霊列車から鳴るミャウダーのオルゴールを聞く伏線があるが、その時に列車内にいるメーテルと謎のウェイトレス・メタルメナとの会話で、メーテルの次のセリフがシビレる。
--若者はね負けることは考えないものよ
一度や二度しくじっても最後は勝つと信じて・・・
それが本当の若者よ
昔はそんな若者が大勢いたわ出典:『さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-』03巻(講談社アニメコミックス・1981(昭和56)年10月20日 第1刷発行)
かぐや姫の「神田川」ではないが(しかも私はその世代でもないが)「若かったあの頃 何も怖くなかった ただ 貴方の優しさが 怖かった」という歌詞がある。
スッカリ中年になった私も、そんな「若かったあの頃」をふと想い出すことがあるが、昔も今も怖いものなしで生きているため、我ながらムチャな人生だとは思う。
最終巻の4巻では、ハーロックとエメラルダスの助力によって機械帝国が崩壊、サイレンの魔女の危機、そして黒騎士と最終対決をする。
原作マンガがないアニメ映画なので、設定の不備を指摘する向きは当時からあったが、黒騎士は鉄郎の父親という設定になっている。
機械エネルギーを吸引するサイレンの魔女から逃れるため、ウェイトレスのメタルメナは999号から飛び降り、黒騎士との対決ではミャウダーのオルゴール音で、宇宙の闇に紛れて見えなかった黒騎士を倒せた。
サイレンの魔女を脱した999号は、惑星ラーメタルへ。そこでミャウダーを埋葬した鉄郎はハーロックと会うが、そのハーロックのセリフ(モノローグ)が良い。
鉄郎・・・たとえ父と志は違っても
それを乗り越えて! 若者が未来を作るのだ
親から子へ 子からまたその子へ血は流れ
永遠に続いて行く!
・・・それが本当の永遠の命だと・・・俺は信じる出典:『さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-』04巻(講談社アニメコミックス・1981(昭和56)年10月30日 第1刷発行)
前作同様、「永遠の命とは何か」が本作の根底を成すテーマであるが、前作が「限りある
ところで、支那の詩集に『唐詩選』があり、日本でも江戸時代から読まれている詩集で、その中に于武陵の「
井伏鱒二による「サヨナラダケガ人生ダ」の名訳で知られ、しかも門弟の太宰治が作品の中で紹介したために大いに広まったので、現在では広く一般に知られるようになったが、正に人生は出会いと別れの繰り返しだと思う。
前作同様、ラストはメーテルと鉄郎の別れのシーンとなるが、エンドロールで流れるメアリー・マッグレガーの「SAYONARA」が切なくも印象的だ。
私ごときが映画のアニメコミックスを解説しようとするのが、そもそもの間違いではあるんだが、ネット記事でどこまで当該映画作品を紹介し、読者に興味を持ってもらえるかが、本稿の真価であると言えよう。
ゆえに、全4巻のアニメコミックスの各巻の一番美味しい所をピックアップし、紹介する形で解説の代わりにしてみたが、どうだったろうか。
一度でも本作を観た人は「こういう場面、あったよなぁ」と思ってくれるに違いないし、本作を全然知らない人が読んで少しでも興味・関心を持ってくれたら、こうして駄文を書いた甲斐がある。
今や本稿で解説している『さよなら銀河鉄道999』のアニメコミックス自体が入手困難だし、仮に入手可能であったとしても、やはりDVDもしくはBlu-rayで、しかもスマホではなく、ぜひ大画面テレビで視聴して欲しい。
本作も前作も、DVDやBlu-rayを購入して損することはないが、そこまでして観たいと思わない場合は、Amazon Prime Videoや、dアニメストア等のサブスク動画サービスで視聴するしかない。
しかしながら、映像作品の感動はスクリーンの大きさに比例するから、視聴デバイスがスマホしかないのなら、あえてオススメしたくないぐらいだ。
ともあれ、本稿の稚拙さは駄文を以て任じているが、映画公開から40年が経つ現在、若い世代が作品の存在を知り、新たなファンが増える小さな小さなキッカケにでもなれば幸いである。
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