好きなことを仕事にするには?趣味と仕事と読書の意外な関係


タグ管理人的親不知讃歌, 2022(令和04)年, ツイキャス, 歌枠, 漢字弱者, ボカロ曲, Ado, アニソン, 松本零士, 戦略ピラミッド, 戦略と戦術, ラーニングピラミッド, 読書, 勉強


 
管理人的親不知讃歌

2022/01/15

昨年の後半・・・10月の下旬頃ぐらいからだったか、徐々にまた、ツイキャスを覗いてみるようになった。
私は作業中のBGMとして、YouTubeで好きな楽曲を「再生リスト」にし、30曲も40曲も一本の動画にまとめており、YouTubeやDiscordのBotでBGMとして繰り返し再生させていたりする。
が、それもいい加減に飽きてしまったのだ。
最近のボカロ曲をチェックするヒマもないし、ツイキャスの歌枠もとっくに入れ替わりが発生しているに違いない、と思っていたから。
思った通りツイキャスは入れ替わりが激しいので、数人の若く才能を持った新たな歌い手(単なる趣味やプロになりたい系予備軍を含む)と出会い、それなりに楽しんでいたりするが、やはりジェネレーションギャップは否めない。

なぜ本を読まないのか?  

相変わらず20代の漢字弱者っぷりには大いにヘキエキするし、簡単な英単語すら読めないので、文字言語(テキスト)によるコミュニケーションがツライ。それに歌詞に含まれる単語(特に英単語や英語の歌詞)の「理解がまったくない」のも相変わらずで、「本当にプロでやりたいんじゃろか?」と疑問に思ってしまう。
まぁ、ツイキャスの歌枠ごときでプロを目指すも無いモンだが、ライブハウスで歌っているセミプロがゴロゴロしているのも事実で、そういう若い人たちの関心事はマンガやアニメにゲームだから、勢い「アニソン大好き」を公言する人も多い。
そこで、知らんだろうと思いながらも松本零士アニメをリクエストすると、やはりほぼ誰も知らないし、中には「まつもと・・・ぜろじ??」と読む人さえいる。
他のリスナーが「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の人、みたいなコメントをしてくれて、ようやく「なんとなくアニメは知っているけど、歌えない」と返って来るのがお決まりのパターンだ。

EPレコード「コスモス・ドリーム」

そんな中、ある枠主が「コスモス・ドリーム』は好きで、それだけは歌えます」と言ってくれ、実際に歌ってくれたのには驚いた。
ゆえに、展示リクエストがない場合は原則「発表(発売)日順」での展示をしているが、1000年女王EPに関しては「星空のメッセージ」より先に、TVアニメの主題歌になっていてより知られている「コスモス・ドリーム」を展示したのである。
ツイキャスで知り合ってTwitterでも相互になった2~3の親しい人に、DMで意見交換をすることがあるが、「今は昭和・令和のレトロブームだし、それに乗って松本零士アニメのアニソンとかはどうじゃろか?」といった私のアイデアは、スルーに近い形で却下された。
単に「歌枠で歌って欲しい」といった個人的な要望ではなく、ツイキャスの歌枠やYouTubeの「歌ってみた」動画でも同様に「他人と同じことをしても目立たないし、埋もれるよね?」といった、ネット活動の戦略的な話でのことだが、そもそもネット活動の戦略も戦術も無いような人たちだし、若者らしく「興味・関心のないことは1秒たりとも考えない」ので、このように誘い水をしても暖簾に腕押しであった。
ムヤミに歌枠を開いたり、YouTubeで歌ってみた動画をアップしたところで、Twitterのフォロワー数が1,000どころか500にも満たない程度じゃ拡散力もヘッタクレもない。
そこで「どうすれば知名度が上がり、フォロワーやチャンネル登録者数が増えるのか?」と考えるのが普通だと思うが、「ネットやITに弱いから」とか「まだ始めてからそんなに日が経っていないから」と考えるのだろうか。
恐らく、根本的に「目的(ゴール)が設定されていない」のではないか、と思う。

戦略ピラミッド

図は戦略ピラミッドの例だが、法人でも個人でも期間と目的を決め、目的を達成するために戦略を立案し、戦略を実現するために作戦を考え、作戦を達成するために戦術を練って活動している。
例えば法人(企業)の場合、企業は1期1年で決算するから、期首の段階で(1年で)最大の売上と利益を出そうという目的を持つ(コレを管理会計と言う)。期末になって1年間の売上と仕入、損益を計算して決算書類を作成するが、なるべく売上と利益を低く計算しようとする(コレを財務会計と言う)。
財務会計で「なるべく売上と利益を低く計算しよう」とするのは、法人税その他の対策のためだが、不当に売上や利益を隠したり、逆に売上や利益が出ているように帳簿を操作して決算書類を作成することを「粉飾決算」と言うが、それはまぁ、どうでもいい。
法人の場合では1年単位で常に目的(ゴール)を決め、戦略を立てて企業を経営するが、当たり前に中期・長期の目的と目標を定めているのが普通だ。
個人でも同様に、何らかの目的と目標を持っている人が多いと思うが(なぜなら人は「目的がない行動」を嫌うから)、果たして自己目的達成のために行動して生きている人はどれだけいるだろう? 下手をすると、戦略と戦術の違いも分からず、ヤタラとヤミクモに努力をしている人は多いかも知れない。
別に大学の商学部で勉強をしないまでも、自分がやりたい分野のマーケティングや、自分自身のプロモーションに関する入門書やハウツー本のタグイはいくらでもあるから、買うなり借りるなりして読んで勉強すれば良いと思うのだが。
・・・だから安易にネットの情報商材に手を出し、騙される人が絶えないのだろうけども。

趣味を楽しむにも勉強は必要  

星空のメッセージ」の展示には、当時の「歌手募集コンテストのお知らせ」も掲載したが、1980(昭和55)年と現在とでは、歌手になれるチャンスはケタ違いだ。
昨年もボカロ曲が大いに流行り、中でもJKで素顔を晒さないAdoの「うっせぇわ」がアフォみたいなYouTube再生回数でテレビ出演もしたし、どうやらそのままプロになったぐらい(?)の勢いだ。

Ado「うっせぇわ」(YouTube動画の埋め込みを禁止してやがるから画像でリンク)

個人的に女性ボーカルは一部を除くと苦手というよりむしろ嫌いで、Adoのようなボーカルも嫌いなタイプだが、歌が上手いのは認める。
しかし、(今もJKかは知らんが)JKのAdoが「うっせぇわ」の歌詞世界を実体験として理解しているワケがなく、ただ、クセが強めの歌が上手いだけで、キャッチーな楽曲と共にバズった話でしかない。
つまりは、軽佻浮薄な芸能界にありがちでビジネスの再現性と継続性がゼロに近い、「人気になった話題の人(楽曲)」なのだ。
YouTubeやニコニコ動画には歌ってみた動画が死ぬほど溢れているが、それらはツイキャスその他の個人配信を含むプロモーションであり、分かりやすく言えば「第2のAdo」を狙う、二匹目のドジョウの大群だとも言える。そこに戦略もなしに技巧的な「歌の上手さ」だけで独自性を出そうと言うのなら、オメデタイとしか言いようがない。
Twitterでもそうだが、「バズりたい」のは分かるものの、それは宝くじで高額当選するレベルのラッキーな巡り合わせの「運」でしかないことを、若い人ほど理解していないようだ。
例えばTwitterの場合、まったく同じ内容のツイートであっても、ツイートする曜日・時間・Twitterタイムラインの流れその他の要因で、反応は全然違って来る。
いわんや「毎日10億時間の動画が消費され、毎分500時間以上のコンテンツがアップロードされている」YouTubeで、無名の個人がバズるのは非常に難しいと考えるのが当然だろう。
歌うのがウマイだけなら、そこらのキャバ嬢やホステスの方がプロだし、それこそゴマンといるワケで、なのにカラオケの歌詞でルビが振ってある単語(英語含む)は読めるが、それ以外にはロクに漢字が読めず、単語の意味がワカランと言うのは、歌詞そのものをちゃんと理解していないと自らゲロっているようなものだ。
そもそも歌謡曲でもボカロでも「歌詞」である以上、その源流は『万葉集』から連綿と現在に続く和歌にある。
ウソだと思うなら、流行っている歌謡曲の歌詞を調べてみれば良い。大抵の歌詞は「五七調」になっているから、指を折って数えてみれば良いだろう。
日本人にとって心地よい言葉の旋律が五七調であって、それが俳句や川柳となり、明治期以降では詩という形式に発展した。
もし、本当に歌や歌うのが好きならば、歌詞に込められた意味を知るべきではないだろうか。作詞者がどういう思いを歌詞に込めたのかを想像せずに、どうして歌うことでそれを表現し得るのだろう。
歌やカラオケに限定しないが、趣味を楽しむのも、それを職業にするのも、勉強しなければ続かない。
なぜなら、趣味を長く楽しむには勉強して深く知ったり、深く理解しないと面白くないからだ。面白くなければいつかは飽きてヤメてしまうし、好きでそれを仕事にしてしまった場合は地獄だろう。
何事によらず「面白さ」を発見するには、知識と経験がモノを言う。勉強しなければ知識は得られないのだ。
ゆえに、「趣味がない」とか「趣味を持とうと思っても続かない」と言っている人は、興味を持った対象について本や雑誌、ネットの記事でもいいが、それらを読んだり、勉強することが出来ない(勉強する方法すら知らない)。そういう人に限って無知で無教養な人が多い。

読書を続けるコツ  

19世紀のスイスの哲学者、アンリ・フレデリック・アミエルの言葉に「生活とは、習慣の織物である」がある。
読書をする習慣がない人に「本を読め」だの「ネットの記事を読め」だのと言っても無駄で、仮に読んだとしても理解はしないだろう。
しかしながら、アメリカの陸上選手だったジム・ライアンが言ったように、「走り始めるには動機づけが必要だが、走り続けるには習慣が必要だ」というのも、また真実だと思われる。
要するに、自分が知らないことを体系的に学びたければ、最低1冊は本を読まねばならないし、有史以来、人類が知り得るすべてのことは何らかの本に書かれていると思って間違いない。
仮に「自分を変えたい」と思って読書する動機づけが得られたとしても、問題がないワケではない。

南勝久『ザ・ファブル』

若い頃から本を読んで来た人は、図のマンガのように「ビジネスになる」し、実際にビジネスシーンで活躍して成功している人は例外なく読書家だ。
まぁ、今まで本を読んで来なかった人は、読書家の友人に教えを乞うなり、ネットで検索するなりして自分が求める良い本を見つけ、読むしかないだろう。
読書して内容を理解し、体系的な知識にする」というのは、論理的(数学的)な思考がないと無理な話なので、それを含め習慣化する努力をしないと身に付かないから、若い頃に読書を放棄した人は(人生に「もう遅い」はないが)、やるのであればかなり苦労するしかないですな。
とは言え、文学をスッ飛ばしていきなり哲学書を紐解こうとしたって無理な話で、本には「読む順序」というモノがある。どんなジャンルでも入門書という有り難いモノがあるから、まずは入門書から徐々に読書を習慣化し、入力情報を多くするように努めるのが本を読むコツであり、読書を続けるコツであると思う。
そして読書するだけではダメで、実践しないことには本当の意味で理解するのが難しい。コンピュータの動作原理と同じで、読書による入力情報を自分の頭で理解・分析・思考し、出力情報にしないと自分の中で定着しない。

ラーニングピラミッド

図はラーニングピラミッドだが、高校までの授業や、専門学校や大学の講義で受けた内容なんて5%ぐらいしか定着しない。
自ら能動的に読書して学んだ内容も、せいぜい10%程度の定着率なので、よほどのことがないと忘れてしまうのである。
一番良い&手っ取り早いのは、読書したらその本の感想を親兄弟・友人・知人に話すことだ。そして単に「面白い」「ツマラナイ」以外の「自分はこう思った」を言えば良い。
手近に感想を言える親兄弟・友人・知人がいなければ、TwitterでもFacebookでも良い。SNSで読んだ本の感想を投稿してみることだ。
自分が読書して思ったことをリアルな他人、もしくはSNSの他人に「的確に伝える」ことは意外に難しいから、それもラーニングピラミッドにおける「自ら体験する」や「人に教える」ことに結び付く。それにSNSに投稿すれば同好の士が現れて、思わぬ出会いがあったりする(私はあったし、これからもあるだろう)。
リアルでもネットでも他人を理解し、尊重しなければ友達や恋人が出来ないのは当然だが、それには読書するのが一番の近道だ。まず、作者が何を言いたいのかを理解する必要があり、それは他人を理解するのに大いに役立つ。

特に児童・生徒・学生は読書をするべきだ

理由は、抜き打ちテスト・定期テスト・受験に共通し、また、どんな教科でも共通するのが「この設問は何を問い、どんな答えを期待しているのか?」を出題の文章から理解出来なければ、設問に対する正解は書けないからだ。
読書を習慣化すれば、漢字の読みや単語の意味の理解といった国語力の向上だけでなく、全般的に理解力が向上する。そして集中力を養うのにも良い。当たり前だが、学校のペーパーテストのような正解がある試験なんて、取るに足らないモノだと思うようになる。
本だけではなく、ネットには無限に近いほどの記事に溢れているが、次のような良記事にも満ちている。読まない手はない。

私は昼間フリーランスのSEとして仕事をしていた社会人学生だったので、教職課程は取らなかった。
厳密に言えば、二部生(夜間学生)の教育実習は定時制が基本だったし、教育実習先の学校も学生が交渉して実施することになっていたから、私の場合は履修して教職免許を取るのは事実上不可能だったのだ。
だから斎藤先生の授業は受けたことはないが、流石は『声に出して読みたい日本語』がベストセラーになるほどの教授が書く記事だと思う。
いくらマンガを読んだって、漢字の読みや単語の意味を知ることは出来ない(大体、マンガは子供が読めるように漢字にルビが振ってあるものだ)。マンガのセリフは読めても文章を読んで理解が出来ない人に、論理的な思考を求めるのは無理だろう。
本来ならマンガは本を読むキッカケになり得るのに、マンガだけで終わっている残念な大人ばかりだ、とは言い過ぎだろうか?

おわりに  

私は現代において、松本零士作品とそのアニメやアニソンを我田引水してどうこうしようとは思わないが、それにしても、あんなに一世を風靡した松本零士アニメが若い世代に知られていない事実に愕然とする。
そこに「私設松本零士博物館存在意義」があると思うので、松本零士アニメのアニソンも、可能な限り展示しようと考えている。すでに手は打ってあって、過去に展示したEPページに手を加えているのだ。
ただ、アニメの場合はやはり視聴世代の影響が大きいから、世代が違えば古い世代のアニソンに興味を持たないのは仕方がない。
たとえドルビーシネマ版「銀河鉄道999」が1月14日に劇場公開されようが、「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち」が2月4日に劇場公開されようが、新たな若いファンの獲得は厳しいだろうと思う。
それにしても、ネットで世代が違う人とコミュニケーションするのは、本当に難しい。
単にマンガやアニメ、そして音楽に関する世代と好みの違いの話ではないことを、この駄文で読み取って貰えるだろうか。
経験豊富な(?)年寄りのアイデアは、いつの時代でも若者から黙殺されるのが通例なのは分かってはいるのだが・・・歴史が繰り返されるのは必然なんだな、と思う。
そして、リアルやネットに非論理的で感情的な人のなんと多いことか。
それだけ好きなことや趣味を仕事にするのは大変で、さらに本職として続けるのが困難であるということでもあるが、人生は学校のテストと違って正解はないのだから、自ら読書して勉強し、試行錯誤しない人には永遠に無理な話であることが理解されるだろう。

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