トチローのご先祖!『男おいどん』とおいどん的貧乏話


タグ管理人的親不知讃歌, 2023(令和05)年, 松本零士, 代表作, 男おいどん, 大山昇太, 大山敏郎, トチロー


 
管理人的親不知讃歌

2023/01/27

先日「松本零士 代表作」コンテンツを作ってみたが、アニメや映画にはならなかったものの、松本零士先生の代表作のひとつに『男おいどん』がある。
時代的には1970年代前半の少年~青年である主人公「おいどん」こと、大山昇太(おおやま・のぼった)の貧乏青春マンガだ。
大山昇太は、定時制高校に通いながら昼間は工場その他でバイトをし、生活費と学費を稼ぐ苦学生(正確には学生ではなく生徒)である。
しかし、生活と学業が両立できず、定時制高校すらも中退してしまうし、なかなか学校に復学できずにモガき、やっと復学するも周囲にバカにされる。そんな主人公に、私は激しく感情移入したモノだった。
私が当該マンガを読んだのは中学生の頃だったが、理解が及ばない点がありながらも痛く感動した。
時代が違うにせよ「ここまで貧乏するモンかね?」と疑問に思ったぐらいだったが、後年の私もおいどんに近いレベルで貧乏をし、苦学生をすることになった。
本稿ではその辺のことを書いてみたい。

私の若い頃  

私は父が病死した関係で高校2年の冬に中退し、2週間足らずで正社員のプログラマとして働き始めた。
入社から1年半が過ぎた19歳の私は、当時勤めていた会社の親会社のような会社にあたる営業マンと有限会社を設立し、武蔵野市の傾いた元牛乳屋の2階から練馬のアパートに転居して頑張ることになる。

若き管理人が住んでいた東京都武蔵野市の傾いた元牛乳屋

まだバブル景気の残滓があった頃だったが、独立したばかりの有限会社がそうそう簡単に仕事を受注できるワケがない。
システム開発担当の私が電話帳片手にテレアポして営業に回り、やっと取って来た仕事も自分で開発・納品・サポートするしかないが、それで会社の業務が回るワケもない。
社長はギャンブル好きで、あるとき知り合いだかの馬主からの情報で「鉄板のレースがある」と言い、私が全力で反対したのに私の給料を含む全額を競馬に突っ込む愚か者だった。
結果、私の給料はパー!になってしまい、私が激怒したのは言うまでもないが、無い袖は振れないため、どうにもならない。
社長個人の信用で「消費者金融からでもカネを引っ張って弁償しろ!」と言ったものの、もうそんな信用もないほどのクズだった。
しかも、この社長は経理だ営業だ開発だ、と人間を採用するので、特に開発の人間を私が教育しなければならないし、実際の開発は実質私がやっていた。
それでいて、当然ながら売上は上がらない。
誰が営業すんの? 社長はITがサッパリで勉強する気もなく、いつも私が同行しなければダメだったのである。その間、遅れている開発は? 全部私がひっかぶった。

食えなかった?  

傾いた元牛乳屋2階の部屋にて19歳の管理人

私が当時借りていた練馬のアパートは、おいどんとは違って独立した6畳間だったし、3畳の台所と風呂・トイレ付きだったが、荒涼としたモノだった。
当初は武蔵野市の元牛乳屋から転居で持ってきたパソコンと太宰治を中心とした文学関係の書籍、それに最低限の布団と衣服があるばかり。もとよりタンスすらなかった(膨大な松本零士コレクションは実家に置いたままにした)。
最初は冷蔵庫もなかったし、食器もわずかで調理器具もほとんどなかった。当然エアコンもなく、夏は死ぬほど暑かった。
社長が競馬で使い込んでくれたため、私は2ヶ月ほどだったと思うが、吉祥寺のロヂャース1個20円の味が薄く量の少ない即席ラーメンを買い溜めし、昼と夜に2食するだけの毎日だった。
わずかだが、まだ食えるだけおいどんよりはマシだったかも知れないが、これで社会人としてフルに仕事をするには無理があった。
・・・正直に言えば、どうしても我慢が出来ずに2~3度バイクを飛ばして実家に帰ってメシを失敬したことがある。
その時、実家でニートしていた愚弟に「兄貴、飢えてんなw」と言われたことは、今でも覚えている。あの時の屈辱は、今も忘れない。
徐々に家財道具を買い足して行き、どうやら人間らしい生活が出来るようになったかと思うと、今度は彼女がアパートに転がり込んで来た。
なし崩しのまま同棲するが、余計に食えなくなって本業のほかに毎晩、某大手写真現像所でバイトまでする始末だった。←元写真部だった人
本末転倒やがな。(´・ω・`)

そして苦学生へ  

バブル景気が本格的に崩壊し、設立した会社が手形で不渡りを出してしまったので離脱した。
ほどなくして母の介護のために彼女と別れて実家に戻ったが、フリーランスで仕事をするうちに大学で勉強がしたくなった。
細かい経緯は省略するが、ある程度母の介護が手を離れたため、仕事をしながらムリヤリ大検を取得し、やはりムリヤリ第一志望の大学を受験して入学したのだ。

大検の合格証書(左)と大学の学位記(右)

システム開発の仕事をしながら大学生をやるのは超絶大変だったが、おいどんも働きながら大学を卒業したい希望があった。
生活費と学費を稼ぎながら大学で勉強するのは大変は大変だったが、大学で学んだことは有意義だったし、今も私の宝だ。そして私は作中のおいどんが果たせなかった大卒になった。
が、その後の私の人生はやはり多難であって、今になって来し方を思うにつけ「頑張ったんだがなぁ」と思う。
まだ私の人生の結果は出ていないが、最後は笑って死んでやろうと思っている。

おわりに  

若い頃は大いに苦労し、貧乏もした方がいいだろう。
しかし、それにも限度がある
若い頃に母の介護で自分の稼ぎ以上の大金を要求されながら、すでにある母の借金を返しつつ、自分がやらかした起業のツケを借金として返しながらも、社会の泥水を啜る思いで将来を見つめるほど、本来人間は強くはないだろうと思う。
だが、若かった当時の私はそれらをすべてクリアした。なんだか知らないが、希望だけは変に持っていて、常に前向きにチャレンジしまくった。
やはり、中学の頃より愛読していた『男おいどん』の影響が多大にあったからだと思うのだ。

『男おいどん 01巻』表紙

私のツマラナイ人生はともかく、『男おいどん』の主人公・大山昇太こそが大山敏郎もしくはトチローのご先祖なんである。
男おいどん』は連載が進むにつれ「おいどんが落伍者になって収拾がつかなくなる」として、松本零士先生自ら連載の打ち切りを申し出たそうだが、『男おいどん』で描かれなかった後の物語に大山敏郎もしくはトチローといった子孫が頑張っているのだから、おいどんは何とかなったに違いない。
だから、いつか私も何とかなるに違いない(多分)。
私は自身の不徳の致すところで子孫は残せないが、想いは次世代に残したいと思っている。

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