松本零士先生の「旅発のバラード」に寄せて


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管理人的親不知讃歌

2022/04/20

私は残念ながら東京は板橋区の生まれで、育ちが大サイタマー帝国南部であるため、松本零士先生のように「田舎から上京する」経験はない。
なんなら池袋と赤羽は大サイタマー帝国の植民地なので(以下、略)。
ともあれ、松本零士先生が上京した時のエピソードを展示ページの「原作」欄に掲載したので(※本稿執筆時)、故郷を後にして青雲の志を胸に上京した思いがある人は、ぜひ参照して欲しい。

汽車について  

令和も2年となり、ますます昭和が遠くなりにけり、だが、私は団塊の世代を親に持つジュニア世代なので、「汽車」と言われてもピンと来ない。
幼少の頃から電化された電車が縦横無尽に走っていたし、わずかに地元の某R大学のキャンパスに蒸気機関車が静態展示してあって、小学生の頃に興味本位でサクを乗り越えてイタズラした程度だ(その蒸気機関車も、いつの間にかキャンパスから消えていたが)。
本物の蒸気機関車に乗ったのはずっと後になってからで、あれは中原中也生誕100年(2008年)に山口県は湯田温泉に行った際に、JR山口駅から「やまぐち号」で湯田温泉駅までの短い距離を乗ったに過ぎない。

JR山口駅のプラットフォームにて、SL山口号と管理人

観光客を乗せる列車だというのもあるだろうが、ガタゴトと揺れる列車は思った以上に遅く、良く言えば「趣がある」が、悪く言えば「エネルギー効率のムダ」としか言いようがなかった。
ある意味「経験とカン」でしか運行が出来ない蒸気機関車は、近代化の先駆けでありつつも、アナログの代名詞であったと思う。
そりゃ、九州の小倉から東京まで、26時間もかかるワケだ。そして昭和世代はどういうワケだか電車のことを「汽車」と呼ぶ。
ディーゼル車の電車(?)もある意味「汽車」ではあるのだろうが、明確に「電車」でも「汽車」と呼んでいたと思う。

旅立ちは18歳  

さてはて、私にとっても「実家を出る」といった意味での旅発(たびだち)は、18歳だった。
高校時代の悪友の口車にウッカリ乗ってしまい、東京は武蔵野市の半分朽ちた元牛乳屋の2階に、蒸気機関車ではなくバイクに乗って転がり込んだ。

若き管理人が住んでいた、東京都武蔵野市の半分朽ちた元牛乳屋

翌年、19歳で有限会社を設立して練馬に転居したが、結論から言えば、失敗の多い人生でした、ハイ。
個人的に若い頃から色々と失敗ばかりをしでかし、毎日酒を呷るような人生だが、「失敗したのは挑戦した証拠」と、今や達観して開き直っている。
そして反省はするが、未だに挑戦ばかりしている。
どうせまた失敗するだろう」と、私を知る「挑戦しない人たち」は思うかも知れないが、どっこい、私は勝算がない挑戦はしない主義なのだ。
他人から見たら失敗かも知れないが、私は失敗だと思っていないし、「成功するコツ」は、成功するまでやり続けることでしかない。
これも、松本零士先生の哲学に影響されたのかも知れないな。

2020(令和02)年07月07日 私設松本零士博物館(Facebookページ)掲載内容を一部改変・加筆

おわりに  

当初、展示ページの「コラム」欄に改変・加筆して転記するつもりでいたが、コラムなのに画像を貼ってしまうと、展示ページ画像の邪魔になってしまう。そこでこうして強引に記事化してみた。
幼少の頃から「銀河鉄道999」は私にとっても重要な作品だが、「少年から大人への旅発(たびだち)」は、誰しも通って来た道であると思われる。
どうも、中年は昔話が大好きなので、どうしても自分語りになって若い人から嫌われる定期だが、来し方を懐かしく振り返りたくなるのも、また人情だ。
私と同世代を含め、若い人にも「こんな時代があったんだ」と思ってくれれば、それでいい。