バッターユーラアウチ 赤バット青バットの時代の物語(文藝春秋)


タグ展示, マンガ, , バッターユーラアウチ 赤バット青バットの時代の物語, 1984(昭和59)年, Number, 文藝春秋


 

バッターユーラアウチ 赤バット青バットの時代の物語  

『Sports Graphic Number』表紙
『Sports Graphic Number』裏表紙
「バッターユーラアウチ 赤バット青バットの時代の物語」

詳細情報  

初出1984(昭和59)年Number』10月5日号
奥付ナンバー10月5日号 第5巻22号 1984(昭和59)年10月05日発行
著者松本零士
編集人・
発行人
一原雅之
発行所株式会社文藝春秋
〒102 東京都千代田区紀尾井町3-23
☎ 03-265-1211 振替口座 東京7-78743
定価380円
備考

コラム  

私は昔から今でもプロ野球には全然興味がないが、印刷会社に勤めていた父から「松本零士のマンガが載ってるぞ」と貰った雑誌。
1980年代はバブル景気もそうだが、夏は軽井沢のコジャレたペンションに宿泊してテニス、冬はスキー場に行くのが流行っていた。そう、それがトレンドだったのだ。
高校の同級生も冬場はバイトして、週末の夜に出発するスキーバスに乗り込んではスキー場通いをしていたし、私も誘われて軽井沢のペンションに宿泊したこともあった。
当時は脱サラして軽井沢でペンション経営するのが流行っていて、マンガでも『軽井沢シンドローム』が大学生以上の青年層に大いにウケて支持されていた時代だ。
私は実際に行ってみてもそうだが、軽井沢なんてプチブルだらけの軽薄で鼻持ちならない町だと思ったし、クダラナイと思っていた。
さて、作品自体は6ページのオールカラーで、松本零士先生が1950(昭和25)年の小学生の頃に学校帰りに海のそばで(なぜかフル◯ンで)野球するのが流行っていた時の話から始まる。
そのノリで1980(昭和55)年に草野球をし、あばら骨がバラバラになったエピソードが描かれている。
しかし、「ユーラアウチ」の意味は未だに謎だ。
表紙の「それでも巨人軍は不滅です!」のキャッチコピーは、確か当時のジャイアンツは資金力にモノを言わせて有力な選手を獲得しまくっていたのに、優勝できずにスランプ状態だった、と思う。
松本零士先生以外のマンガは、どれもジャイアンツを批判したり揶揄したりする内容で、当時のジャイアンツファンのもどかしさが分かる。
昭和の時代はテレビのゴールデンタイムにナイター中継があって、ジャイアンツが負けると不機嫌になる親父とかが普通にいたものだ。

2025(令和07)年01月25日 私設松本零士博物館(Facebookページ)掲載内容を一部改変・加筆
 

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