銀河鉄道999(集英社)


タグ展示, 文庫, , 銀河鉄道999, THE GALAXY EXPRESS 999, ノベライズ, 若桜木虔, 集英社, コバルトシリーズ, 1979(昭和54)年


 

銀河鉄道999  

『銀河鉄道999』表紙 『銀河鉄道999』背表紙
『銀河鉄道999』裏表紙

詳細情報  

巻頭カバー父と母を機械伯爵の人間狩り(丶丶丶丶)()られた鉄郎は、機械伯爵を倒すことだけが唯一の目的に生きていきた。機械伯爵は宇宙惑星の時間城に住んでいる。鉄郎は、メーテルという不思議な女性と知り合い、彼女を守る約束で銀河超直球999の乗車定期券を手に入れた。幾多の困難に出あった鉄郎だったが、キャプテン・ハーロック、女賊エメラルダス、トチローに助けられ、ついに時間城に乗り込んだ・・・・・・。
目次第一章 銀河出発(たびだ)ちのバラード
第二章 タイタンの老いた戦士
第三章 迷い星 冥王星を出て
第四章 トレーダー分岐点到着
第五章 要塞遊星時間城の崩壊
第六章 機械化母星帝国の王女
奥付銀河鉄道999
1979(昭和54)年08月15日 第1刷発行
1983(昭和58)年03月30日 第21刷発行
著者若桜木虔
原作・監修松本零士
発行者堀内末男
発行所株式会社 集英社
〒101 東京都千代田区一ツ橋2-5-10
電話 東京(230)6171(販売)
     (230)6268(編集)
印刷所凸版印刷株式会社
定価340円
備考

購入  

銀河鉄道999 (集英社文庫 コバルトシリーズ 49G)
若桜木 虔(著), 松本 零士(原名)集英社
1979/08/01 発売
¥1
2023/10/28 10:36 現在(Amazon)

出版書誌データベース  

コラム  

「文庫」といった意味では、やっと本当の(?)文庫本の展示となる。
この文庫は、言わずと知れた松本零士先生原作の劇場版『銀河鉄道999』を若桜木虔(わかさき けん)がノベライズした作品で、私が小5の時に初めて自分で買って読んだ小説である。

私が小学校に上がると、小2か小3の頃ぐらいまで母が「読み聞かせ」をしてくれたのもあるし、父がアフォなほどの読書家だったせいもあるが、自宅の居間には父の大きな本棚があり、小説や文芸雑誌、そして新聞が常に手に届く場所にあった。
そんな父が小4の私に小学館のマンガ月刊誌『コロコロコミック』を与え、小遣いで買うことを許していた。そこですがやみつるゲームセンターあらし』に出会い、以来パソコン馬鹿として変態まっしぐらな人生を歩むことになるのだが・・・。
そもそも母が偉人の伝記を「読み聞かせ」で読むのが外国人ばかりなのが不満で、小学校の図書室で豊田佐吉の伝記に出会ってから、普通に本を読むようになっていたと思う。特にマンガが好きで読むというワケでもなかった。

この劇場版『銀河鉄道999』のノベライズ文庫は、たまたま古本屋で手に取り、購入して読んだのだが、マンガや劇場版アニメとはまた違うディティールの作品世界があり、非常に面白い読書体験となった。
思えば、この文庫を読んだことで『銀河鉄道999』のスゴさを正確に認識し、他の松本零士作品(マンガ)が読んでみたくなり、集めだしたキッカケになった・・・・・・今やガチヲタで本サイトを運営するほど立派な変態として生きている。
私が変態なのはともかく、この文庫で小説の面白さに目覚めたのも事実で、父の本棚から眉村卓(『なぞの転校生』や『ねらわれた学園』等が有名)のSF小説を拝借しては読むようになったものだ。
中学で本格的にパソコンと太宰治にのめり込んだので、今やこの手のノベライズ作品やラノベ等は全然分からないが、アニメ等のノベライズ作品を小中学生の内に読み、小説に興味を持って読書する習慣を得るというのは、今でも有効なんだろうか?
・・・読書しない人は、やはり本や雑誌なんか読まないし、仮に同じマンガを読んだとしてもその理解は天と地ほど違ったりするから、なんとも言えないのだが。

劇場版アニメをノベライズするとか、意味不明だろ?と思う人は、今の時代は多いかも知れない。そこで、あえてコンピュータOSに喩えて言うなら、マンガはGUIであり、小説はCUIだと言える。
マンガはコマ割りされた絵とセリフといった「見えているモノ」が世界のすべてであり、親しみやすく分かりやすいが、意地悪く言えばそれだけのモノでしかない。
小説は文字だけの世界であり(タマに挿絵ぐらいはあるカモ知れないが)、その作品世界の映像化と、直接文章で表現していない「言外」の部分に関しても、すべては読み手に一任される。つまり、目に見えていない世界へのアクセスが前提になっているのだ。
コンピュータOSの役割のひとつはファイル操作であるから、例えばファイルの削除やコピー、またはファイル名の変更といった操作の場合、Windows10のようなGUI(マンガ)OSの場合は、画面で見えているファイルにのみ操作が有効である。
ところが、UNIX系やLinux系のCUI(小説)OSの場合は、ファイルの削除やコピー、ファイル名の変更といった操作は、OSコマンドとワイルドカード指定が可能であるため、操作対象のファイルは画面に見えている必要はないのである。
GUI(マンガ)とCUI(小説)とでは、そもそも担う役割が違うため、どちらが優秀であるとかという話ではないし、どちらが良いといった話でもない。
Windowsの場合は歴史的に「DOS窓」(コマンドプロンプト)や、Windows PowerShellといったCUIツールが付属するため、GUICUIの美味しいトコ取りが出来るのであって、実際にDOS窓やPowerShellでファイル操作をするか?と言えば、人によって様々だろう。
要するにCUI(小説)の良さを知っているから、GUI(マンガ)の良さが分かるし、その逆もまた同様であることが言い得る。マンガと小説のどちらか一方しか知らないのでは、やはり「片手落ち」であろう。
そういった意味でも、この本は私にとって画期的で、目を開かれた作品だった。

2020(令和02)年08月22日 私設松本零士博物館(Facebookページ)掲載内容を一部改変・加筆

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