タグ:管理人的親不知讃歌, 2021(令和03)年, 解説のようなモノ, 銀河鉄道999, THE GALAXY EXPRESS 999, 機械伯爵との対決, 講談社, PukiWiki, プラグイン, レイヤー図鑑, 名古屋のハーロック, スター・システム, 手塚治虫, 三島由紀夫, メリーゴーラウンド方式
2021/09/22
本サイトを構成しているPukiWikiだが、PukiWiki本体の改造をした上で、さらに独自開発したライブラリとプラグインを組み込んで運用している。
その独自に開発したライブラリとプラグインは、実はすべて暫定公開状態であり、本サイトを含め、太宰治真理教サイトを運営する中で不具合や改修点を発見し、バージョンアップして行くといった意図があった。
ところが、色々と準備不足がありながらも独自でオンラインサロンを構築し、独自にファンビジネスに乗り出したため、ライブラリとプラグインを正式公開状態にすべく、全体的に検証・改修する必要がある。
コレが・・・非常に大変で面倒なのだ。
ある程度「どこをメインに共通して手を入れるか」は分かっているし、仕様もある程度は構想済みで、調査内容もTiddlyWikiに開発メモを書いているため、ある時点で「えいやっ!」とばかりに開発と検証をし、順次リリースすれば良い。
ところが、酒呑みで怠け者の私はなかなかその気になれず、かといって本サイトや太宰治真理教サイトを更新しないまま放置してもおけず、こうして記事を書くにしてもPukiWiki用テキスト表現拡張プラグインを開発する必要があり、取り急ぎ開発・リリースして本サイトに導入した。
その後、タマタマあるツイートを見て無駄に変な欲が出てしまい、「松本零士ファンの相互さんにも参加して貰えんじゃろか?」と思いつき、本当に思いつきで名古屋のハーロックさんに声をかけてみたら、即座に写真(画像)を送って下さった。
感激しながらも、「この画像をどうやってサイトでコンテンツ化すればエエんじゃ?」という、別の悩みが爆裂した。
そこで急きょ開発したのがPukiWiki用画像スワイプ表示プラグインで、思いの外良く出来た上に、レイヤー図鑑コンテンツにピッタリだったのだ。
そこでさらに欲が出て、相互さんにご協力をお願いし、モデラー図鑑と絵師図鑑コンテンツを拡張することが出来たのである。
・・・PukiWiki用ライブラリとプラグインの正式公開版の開発をするのも重要だが、運用しているサイトを更新せず、誰もアクセスして貰えないようなら、本末転倒ではないか。
3巻目になると、エメラルダスやトチローにハーロック、仇の機械伯爵にその愛人のリューズ、援軍に来たアンタレスと、役者が揃って大いに盛り上がる。そして機会化母星メーテルの破壊を決心して4巻に行く流れで終わるのだが、今読んでも松本零士ワールドの美味しいところが全部詰まっていて、それでいて実に良いストーリー展開になっている。
・・・若い世代に知ってもらいたいアニメ映画ではあるが、やはりディズニーとジブリの前には無力なんだろうか。
さて、盛大に前置きが長くなった上に、Facebookページの解説のようなモノは、相変わらずヒドイ駄文で使えないことが判明。
やはり、改めて解説のようなモノを書かねばなるまい。
エメラルダスから機械伯爵の居場所「時間城」の場所を知った鉄郎だが、それは次の停車駅「トレーダー分岐点」(惑星ヘビーメルダー)だった。
鉄郎の身を案じるガラスのクレアの思いをヨソに、鉄郎はトレーダー分岐点に降り立ち、とある裏路地のバーに辿り着く。そこではリューズの歌に涙する男たちの姿があった。
そこで鉄郎はバーのマスターに
ガンフロンティア山まで行ってみな
ここから南へ10キロ程行った・・・
その麓に一風変わった男がいる・・・
機械伯爵の動きはその男がくわしく知っているはずじゃ・・・出典:『講談社アニメコミックス 銀河鉄道999③』(講談社・1979(昭和54)年10月05日 第1刷発行)
と、教えて貰う。
そこに居たのは、不治の宇宙病に侵され、余命幾ばくもない大山トチローだった。
トチローも鉄郎と同じく、自分の手で機械伯爵を倒すことを考えていたが、自分の母と同じようにすべてを鉄郎に託し、鉄郎の手によってアルカディア号の「心」になってしまう。
鉄郎は追ってきた機械伯爵の手下にコテンパンにノされた上に、戦士の銃まで奪われる。そしてバーに戻って戦士の銃を奪い返そうとした時に、キャプテンハーロックが現れるのだ。
ここで、ハーロックは無二の親友を、エメラルダスは身も心も捧げた最愛の人が亡くなったことを知るし、鉄郎は時間城に乗り込み、アンタレスの助力を得て機械伯爵を倒す。
そして鉄郎は、終着駅アンドロメダにある「機械の身体をタダでくれる星」の破壊を決意し、メーテルに謝意とともに告げるのだった・・・。
ここまでが03巻の内容だ。
このように、劇場版『銀河鉄道999』では、ハーロックにエメラルダスにトチローにと、松本零士作品のスターが一堂に会するスター・システムが採用されている。
日本のマンガ・アニメの世界でスター・システムを採用したのは手塚治虫が最初だとされており、松本零士先生もそれを踏襲したような形で実現し、物語の厚みを増すことに成功している。ゆえに、私を含めた当時の少年少女が熱狂したのは当然だ。
一般に、スター・システムの源流はハリウッド映画のチャップリンだとされているが、これは手塚治虫や松本零士先生といった、複数の作品を縦横無尽に展開している作家(チャップリンは俳優兼映画監督だが)でなければ無理な話であり、それが1970年代末に邦画アニメとして花開いたひとつの成功事例であると言えよう。
もっと言えば、ハリウッド映画でのスター・システムを日本文学の小説世界で実現化したのは、三島由紀夫の『鏡子の家』だと言えるのではないか。
厳密に言えば、『鏡子の家』は「メリーゴーラウンド方式」として作中人物が時間軸に対して多層的に役割を演じるのだが、こうした小説技法をマンガとアニメでスター・システムとして実現したのは、松本零士先生が最初なのではないか?と思う。
私は手塚治虫作品について一般人程度の知識でそれほど詳しくないから、詳しい人に教えて貰いたいのだが、手塚治虫作品でのスター・システムは、ヒゲオヤジ、ハム・エッグ、アセチレン・ランプ、ヒョウタンツギ(コレはちょっと違うかw)等が様々な作品のサブキャラクターとして登場するものの、それらのサブキャラが主人公を張る作品というのは、どれほどあるだろう?ましてや映画やTVアニメ、もしくはOVAの主人公になったろうか?
私の拙い手塚治虫作品の知識ではそんなことはないし、日本版スター・システムとして成功しているのは、私は贔屓目なしに松本零士先生とその作品が最初だと思う。
また、松本零士先生がどの程度三島由紀夫作品に影響を受けたかは知らないが、恐らく日本版スター・システムの原点は、やはり三島由紀夫の『鏡子の家』の「メリーゴーラウンド方式」であると思われる。この辺に関しても、文芸とアニメに詳しい人のご意見を聴きたいところではある。
ともあれ、本作がそれほど今までになかったエポックメイキング作品である、と言いたいのだ。
もうすでに40年も前の映画で、しかも私ごときが本稿の解説のようなモノで力説するのも変な話であるかも知れないが、松本零士ファンですら欠落している視点を本稿で少しでも補えれば、と思う。
無論、若い世代は知る由もない作品であると思うが、40年も前にこういった作品があったからこそ、現在の「クール・ジャパン」戦略で日本のマンガやアニメが重要であることの源泉を知って欲しいと思う。
そして残念ながら、松本零士アニメはディズニーやジブリアニメと違い、繰り返しテレビ放映されないために、今では忘れ去られてしまっている現状に、私は大いに危惧しているのだ。
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