タグ:管理人的親不知讃歌, 2023(令和05)年, 松本零士, お別れの会, 東京国際フォーラム
2023/06/03
本サイトのトップページに設置した「お知らせ」で案内していたように、本日、6月3日は「松本零士先生 お別れの会」が、有楽町の東京国際フォーラム ホールB7で開催された。
このような「お別れの会」に参加したことがないので、一体どんな会になるのか?ネットの知人にも会えるかな?などと、密かに楽しみにしていた。
台風の接近で心配していた天気も午後には快晴になり、久しぶりに電車に乗って有楽町入りしたのであった。
午前中のヤボ用が長引き、有楽町駅に着いたのが14:45頃だった。
ウロウロしていたら、列の最後尾を発見。
それほど並んではいないように思ったので、先にタバコで一服つけて、ヤニを補充することに。
速攻でタバコを一本吸い、行列(3人1列で並ぶ)に並んでみると、14:00から並んでいた人はすでに会場に入っていたようで、私の前には4~50人ほどが並んでいる。
腕時計で時間を確認すると、15:00を少し回っていた。
ふと、後ろの行列をみると・・・
こんなに並んでいるのっ!?Σ(°Д°)
しばらくすると、もう、最後尾のプラカードが見えなくなるほど、行列に並ぶ人であふれていた。
すると、15:40頃に行列の先頭30人ほどが会場に案内され、行列が前に動いた。
「この次の案内でやっと入れるのか」と思い、なおも待っていると、10分後ぐらいに会場に案内された。
案内されるままにエスカレーターで上階に行き、フロアを歩いていると、なんかいたw
やっと会場入りかと思ったら、まだまだ待たされることになる。
ホールでは4人1列で並ぶが、私は3番の行列に案内されたものの、その他の行列はミッチリ人が並んでいて、順次「お別れの会」の会場に案内されて行く。
画像にあるホール内の巨大なスクリーンには、松本零士先生の誕生から晩年までの写真がスライドで次々に切り替わり、最後はハーロックとエメラルダスのイラストを描く、松本先生の動画になった。
鉛筆での下書きはあるものの、ペン先から描き出されるハーロックの絵は素晴らしく、その左隣でフードを被っているエメラルダスも描き出された。
私は絵心がないので絵を描くことはないが、イラストやマンガを描く絵師さんなら、参考になる動画だろうな、と思った。
動画が終了すると、また最初から写真がスライドで表示される。
飽きずにスクリーンを見ていると、20分ほど経ったろうか? いよいよ「お別れの会」の会場に案内されたが、時計は16:10を少し回っていた。
やっと「お別れの会」会場へ進むと、途中でメッセージカードを手渡された。
思い思いに松本先生にメッセージを書いて係員に提出するのだが、案内の人は「提出せずにお持ち帰りされても問題ありません」とアナウンスしていたから、私は持ち帰ることにした。
実は先月9日に弔電を打っており、弔電にメッセージを入れていたからだ。
さらに会場に進むと、係の人が献花用に青いカーネーションを手渡してくれた。
献花を手に、松本零士先生の祭壇に向かう。感慨深く、胸がいっぱいになった。
思えば、「銀河鉄道999」のTVアニメが放映されたのは、私が小2の頃だった。
狂喜しながら自宅の家具調TVにカジリ付いて視聴していた。
松本先生の作品を集め出したのは、TVアニメ放映から3年近く経った小5で、最初に買ったのはマンガではなく、劇場版『銀河鉄道999』を
以来、もうすでに、40年が経つ。
いつか、こうして松本先生とお別れをすることがあるだろうとは、漠然とだが考えていた。
だから、早く本サイトを立ち上げて運用したかった。
松本先生は、本サイトの存在ぐらいは、知ってくれていただろうか?
画像では分かりにくいが、額の中はこう書かれている。
松本 晟
正六位に叙する
令和五年二月十三日
内閣総理大臣 岸田文雄宣
まさに松本先生が「星の海に旅立った」その日に、正六位の叙勲を賜ったのである。
ファンとしては、これほど嬉しいことはない。
松本先生の功績があったからこそ、マンガやアニメは「子供のための低俗なコンテンツ」から脱し、世界中に「クール・ジャパン」と認識させた、第一人者であった。
私は献花し、手を合わせて心のなかで感謝を述べ、一礼して祭壇を後にした。
祭壇を後にしてパネル展示の写真を撮っていると、いきなり背後から音楽が聞こえて来た。これは!?Σ(°Д°)
演奏は次の3曲のみだったが、素晴らしい演奏に聴き入ってしまった。
惜しみなく拍手を贈ったのは、言うまでもない。
本当なら、ちゃんと14:00には並んでいて、ちばてつや「お別れの会」実行委員長の挨拶を聴きたかったのだが、それは叶わなかったとしても、素晴らしい演奏を聴かせてもらった。
祭壇を正面に見て、左右の展示を写真に収め、さて帰ろうかと思ったら、祭壇と相対する形で、出口に「銀河鉄道999」の機関車内部を模した展示があった。
いかにも、松本先生が銀河鉄道999に乗って銀河の星々に旅立ったかのような演出だ。
この展示には記念写真を撮る人が多かったので、なかなかシャッターチャンスがなかった(苦笑)。
それでも写真に収め、会場を出ようとしたら、出口付近で係の人からこのカードを手渡された。
「遠く時の輪の接する処で」これは、松本先生のメッセージに他ならない。
この世ではお別れをしたが、遠く時の輪の接する処で、私や松本先生のファンは、いつか松本先生と出会うことが出来るだろう。
人間の人生は誠に儚いが、それでもいつか、また、出会うことが出来る。
いかにも松本先生の、「お別れの会」に相応しいカードだと思った。
その他、会場の外に出てみると、松本先生が生前愛用していた品々が飾ってあった。
コレも皆さん、こぞって写真を撮るので、なかなかシャッターチャンスがなかったのだが、やっとこの写真を撮ることが出来た。
メガネとトレードマークの帽子、手製の筆洗いに絵の具と愛用されていた証券用のインク。
この道具で類い稀な作品を生み出してこられたのだと思うと、グッと来る。
恐らく、松本先生が乗って星の海に旅立ったであろう、銀河鉄道の客車の展示もあった。
今さら言うのもアレだが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を知らない松本ファンはおらんだろう。
もし、『銀河鉄道の夜』を読んでおらず、仮に読んでいたとしても内容を理解していないのなら、そりゃモグリだと謗られて当然だ。
あまり知られていないかも知れないが、松本先生は宮沢賢治の作品をマンガに描いているのだが、それは後々、また「展示」を通じてお知らせしよう。
私が松本先生の訃報を知ったのは今年の2月20日だったが、私はキッチリ3日3晩、泣き通した。
松本先生に関するTwitterでの投稿を読んでは、バカみたいに泣きながら、いいね!をしたりRTしながら、酒ばかり呑んで過ごした。
何も出来ず、さりとてどうすることも出来ない。
私がやれることと言えば、Twitterを見ながら酒をガブ呑みしつつ、泣くことしか出来なかった。
いつか、こんな日が来ることは分かっていたのに。
だが、実際にその日が来てしまうと、私は何も出来ず、バカ面を下げて酒を呑むしか出来なかった。
実に情けないことこの上もないが、こうして「お別れの会」に参加することで、私の中でもハッキリと決着がついた気がする。
もう、いい加減、松本先生の作品に甘えていてはイケナイのだ。
だが、今後も松本先生が遺してくれた珠玉の作品は、私の心の支えであることには間違いがない。
いつか、松本先生とお会いしてサインを頂きたかったのは心残りだが、真贋は別として、松本先生のサイン色紙は持ってはいる。
ともあれ、今後は本サイトが担う責任や期待が増すだろう。
松本零士ファンサイトとして、今でも更新しているのは本サイトぐらいだし、有り難いことにPVも多いことから、本サイトが率先して担うべきだと考えている。