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2022/04/18
松本零士ファンなら、メーテル(銀河鉄道999)やスターシャ(宇宙戦艦ヤマト)のモデルが誰であるか、知っている人はいるかも知れない。
そこで、『銀河鉄道999 COMPLETE DVD-BOX 2巻』を展示した際に、Facebookページには次のように書いておいた。
今回は「メーテルのモデルについて」、興味深い松本零士先生のメッセージ(これも長いので大変なのだが)をページに掲載している。
詳細は当該ページを参照して欲しいが、実はメーテルには実在のモデルがおり、その写真も実在する。
これに関しては当該ページの先生のメッセージには詳細に触れられていないが、その内に私の方で「管理人的親不知賛歌」に記事を書こうと思う。出典:2020(令和02)年07月06日 私設松本零士博物館(Facebookページ)
単にメーテルやスターシャのモデルが誰であるかを述べ、その白黒写真の画像を貼るだけでは、まったく芸がない。
私がわざわざ記事化するからには、それ相応の情報を提供するので、離脱することなく最後まで読んでもらいたい。
明治期の美人として紹介されることが多いが、メーテルとスターシャのモデルは、シーボルトの孫に当たる楠本高子だ。
上記の画像は、パブリック・ドメインとしてWikimedia Commonsで公開されている楠本高子の白黒画像を、Reminiによって高画質化した画像だ。
着物の部分の処理が甘いが、顔はキレイにカラーとして高画質化されており、100年以上前の美人とは思えないほど、美しい尊顔が現代に蘇った。
純粋な日本人の美人も素晴らしいが、楠本高子はドイツ人と日本人のクォーターに当たるため、混血的な美しさを併せ持っている、と言えそうだ。
( ゚Д゚)ハァ? ドイツ人とのクォーターだって?
そんな声が聞こえて来そうなので、簡単に説明する。
学校の歴史の授業で「シーボルト」もしくは「シーボルト事件」を習った記憶がある人は多いだろう。
実はシーボルトはドイツ人なのだが、オランダ人医師と偽って江戸末期の1823年に長崎の出島のオランダ商館に来日したのだ。
西洋人として初めて出島の外に塾を開校し、日本人に最新の西洋医学を教えたことで知られるが、実は日蘭貿易の情報を収集するエージェントとしての顔を持つ。
シーボルトが日本に滞在していた約6年間で、収集した動植物の標本や地図、美術品は数万点に及ぶと言われ、当時のヨーロッパにおける日本研究の第一人者として後に高く評価されるが、江戸幕府が禁じていた伊能忠敬による日本地図(縮図)や、日本に関する翻訳資料を国外に持ち出そうとしていたことが発覚し、国外追放となる。
コレがいわゆる「シーボルト事件」で、高校ぐらいまでの歴史の授業でやるのはこの辺までだろう。
だが、シーボルトが来日して間もなく、結ばれた女性がいる。
それが出島に勤めていた17歳の遊女・楠本滝で、二人の間に生まれたのが日本初の女性産科医の楠本イネだ。
当時では珍しい混血の楠本イネは様々に差別を受けながら、当時の女性として医学を学ぶ等、血の滲むような努力をして「お産は汚らわしい」とされていた時代に、西洋医学の産科医として活躍する。
明治維新後の宮内庁へ福沢諭吉によって推薦され、明治天皇の女官の出産の際にも世話役を任命されたほどの人物でもあるが、現代でそれを知る人は少ないだろう。
混血ゆえに結婚を諦めていた楠本イネだが、強姦によって子供を授かってしまう。
それがイネの娘で、シーボルトの孫に当たる楠本高子なのだ。
この楠本高子は三瀬諸淵と結婚するものの、夫に先立たれ、しかも母イネと同様に強姦によって子を授かり、医師の道を断念してしまうのだが・・・。
話を本筋に戻そう。
楠本高子が明治期の美人で、数奇な運命を辿ったのは分かるものの、それがどうして「メーテルとスターシャのモデルなのか?」が不明なままだ。
『銀河鉄道999 COMPLETE DVD-BOX 2巻』(発売は2002(平成14)年11月20日)の松本零士先生のメッセージには、次の記述がある。
メーテルはなぜこういう顔をしているのかというと、遺伝子が描かせたんだと。私の先祖の近くにまったく同じ顔の女性がいたんですよ。今調査中なんですけどね。でもこの2000年4月頃発見されて私のところに送られてきた写真。この女性を見て呆然としました。自分が描く女性キャラクターとまったく同じだったからです。スターシャやメーテルそのもの。見て描いたように眉の線からまったく同じ顔を描き続けている。もう15~18歳の時には完成していたわけで、その顔を復元してしまっていたのだったと。この写真を見つけて知ったんですね。だから皆さんの夢や希望も全て遺伝子に支配されていますよ。ご先祖の誰かのね。
で、この女性はやさしそうに見えるけど、芯の強いまなざしで「あなた男でしょ、泣き言言うと許しませんよ」って、そんな厳しさがある。おこられてるような気がするですよ。そんな彼女が亡くなったのが1938年。まるでバトンタッチするように。その話をフランスやアメリカから来た人に話すと「何だ、おれたちは140年前から友人なんだ」って。「それならあんたのキャラクターに我々が違和感を感じないのは当前だ」と言って納得してくれます。何故日本人がこういうキャラクターを描くのかが不思議だったらしいんですよ。
この後、産経新聞「westライフ」に『メーテルにモデルの女性いた! 松本零士が語る不思議な〝出会い〟』(2011(平成23)年12月23日)が掲載されたが、現在ではリンク切れになっている。
そこで、本稿ではネットを駆使して当時の記事全文をそのまま再掲する。
漫画やテレビアニメで人気を博した「銀河鉄道999」に登場するメーテルや「宇宙戦艦ヤマト」のスターシアには、実はモデルとなった女性がいた! それも大阪になじみの…。彼女の名前は「楠本高子」。日本人女性初の産科医で「オランダおいね」として知られる楠本イネの娘だ。祖父は蘭学の父といわれるフォン・シーボルト。作者の漫画家、松本零士さん(73)は、自身の漫画家人生に大きな影響を与えた高子との不思議な“出会い”について語ってくれた。
松本さんは小学1年だった昭和19年から20年の終戦まで、愛媛県大洲市の母の実家に疎開していた。後に理想の女性としてメーテルやスターシアなど、切れ長の目で顎の細い女性を描き続けたが、なぜそういう女性を描くのか、自分でもはっきりとは分からなかったという。
その謎が解けたのは、15年ほど前のこと。同市に暮らす同級生から、明治維新前後に撮影されたとみられる1枚の写真を見せられた。そこに写っていたのが、メーテル、スターシアによく似た細面の若い女性だった。そのときのことを松本さんは「自分が描いてきた女性と気づき、大変な衝撃を受け写真に見入ってしまった」と振り返る。
写真には20代の初めごろとみられる高子と、夫で大洲藩家中の三瀬(みせ)諸淵(もろぶち)の2人が写っていた。三瀬は、シーボルトの高弟でイネに医学を教えた二宮敬作のおいにあたる。三瀬も二宮から医学を学び、蘭学者の大村益次郎からはオランダ語をならい、シーボルトが幕末の安政6(1859)年に再来日した際には通訳を務めた。
高子とは慶応2(1866)年に宇和島で結婚。「高子は当初、三瀬との結婚に乗り気でなく、イネが諭したそうです」と松本さんは解説する。
明治維新後、三瀬は高子をともない大阪に移住し、大阪大学医学部の前身にあたる大阪医学校の教官や大阪病院一等医官を歴任。大阪の西洋医療の礎を築いたが、明治10年に39歳の若さで病死した。
高子はこの約10年間、夫とともに大阪で暮らした。写真は大阪に来る直前、宇和島で撮影したものと推察される。あのメーテルのような女性が文明開化の明治初期に大阪にいたとは、なんともロマンをかきたてられる話だ。
東京都内の自宅で取材に応じた松本さんは、書斎の机の上に高子の写真とスターシアのイラストを並べ「そそとした切れ長の目と細いあごが同じだろう」と指さし、「この写真を初めて見たとき『私が描き続けてきたのは、まさにこの女性だ』と思い、ギョッとしましたよ」と話す。
以来、高子について調べたという松本さんは「私の父も大洲市出身で、家に伝わる古い写真や言い伝えなどから、高子とも縁のある家だったようだ」と話し、「私が先祖から受け継いだ“記憶”が、スターシアやメーテルの姿を通して高子を描かせたのかもしれません」と感慨深げに語る。
松本さんは生まれも育ちも福岡県久留米市だが、「血筋は南予(愛媛県南部)・大洲」と言い切るほど愛媛県への思い入れは強い。疎開時代は「とにかく悪ガキ。家の近く流れる肱川が遊び場で、フナやアユ、ウナギを釣り、野山ではハチミツを目当てにアシナガバチの巣を探した。柿を取ろうとして木から落ちたことは数知れない」とも。
宇宙への興味をかきたてられたのも大洲だった。「父の双眼鏡からレンズだけを取り出して天体望遠鏡を手作りし、熱心に月を観察した。家の前にそびえる神南山の上に輝くオリオン座に心奪われ、いつまでもながめていた」
そんな田舎での暮らしも、戦争末期には米軍機が姿を現すようになり、家の前で機銃攻撃にさらされ、慌てて物陰に飛び込むこともあったという。
「終戦の玉音放送のときは、川で魚を捕っている最中だった。家に帰ると、祖母が日本刀を抜き『敵が来たら差し違えて死ぬ。おまえもサムライの子じゃけん、覚悟せい』といわれたことを今も鮮烈に覚えている」
松本さんは今月、楠本イネを主人公としたミュージカル「幕末ガール」のポスター原画を書き下ろした。このミュージカルは愛媛県東温市にある「坊っちゃん劇場」で、来年4月中旬から約1年間上演される。蘭学が隆盛した幕末の宇和島藩を主な舞台に、イネの青春時代が描かれる。
11月、都内で開かれた制作発表には、脚本・演出の横内謙介氏、振り付け担当のラッキィ池田氏、愛媛県の中村時広知事らとともに松本さんの姿もあった。「ポスターは、私が描き続けた高子をモチーフに、若いころのイネをイメージしました。“郷土”愛媛のミュージカルを全国の人にぜひ見てもらいたい」と力を込める。
【プロフィル】松本零士(まつもと・れいじ) 昭和13年、福岡県久留米市生まれ。高校時代に漫画家としてデビューし、昭和46年に少年マガジンで「男おいどん」を連載。同49年にテレビ放映された「宇宙戦艦ヤマト」はアニメーションブームのきっかけとなった。「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」など人気作品を次々発表。日本漫画家協会常任理事著作権部長、財団法人日本宇宙少年団理事長、中央青少年団体連絡協議会会長、大和ミュージアム名誉館長などを歴任。平成22年、旭日小綬章授章。
私ごときがメーテルやスターシャのモデルである楠本高子について、長々と駄文を書いたところで意味はないだろう。
ただ、指摘しておきたいのは、こういった知られざる近現代史には、まだまだ一般に知られない埋もれたエピソードが多分にあり、それは現在でも発掘や調査がなされている、ということだ。
私個人は商学部卒なので、元から文学や史学は専門ではないが、商学は近現代史そのものであり、かつ、経済と政治は密接な繋がりがある。
ゆえに、早稲田大学では政治経済学部が学内ヒエラルキーのトップに君臨していることから分かるように、経済と政治に精通しなくては、本当の意味で国政を語ることは不可能なのだ(そもそもワセ駄は政治と英語しか教えられない、東京でも田舎の専門学校でしかなかった)。
例えば、太宰治や坂口安吾といった作家は、確かに文筆では天才だし、今でも読み継がれているが、フリーランサーといった個人事業主の面では落第も甚だしい。
そういった点で三島由紀夫を見てみると、個人的に文学面ではそれほど評価しないものの、個人事業主といった社会面では優秀だと思う。
でなければ、政治活動家として市ヶ谷台での壮絶な自決は、意味をなさない。
右翼も左翼も、そもそも文学一般を理解しているとは思えないが、同様に経済も政治も理解しているとは思えない。
それは三島由紀夫の無理解といった形で表面化しているのさえご存知ないようだが、実にオメデタイとしか言えない。
松本零士先生ですら、長年自身が描く女性キャラクターの絵の原点を知らずにいたのだから、SNSの自称ウヨパヨごときは比較にもならん。
勉強せねばならんな! 君も、私も。
※何故かPukiWikiのrefプラグインが画像を表示しなくなったので(恐らく遅延読み込み部分の問題だと思うが、何もしてないのにな?)、PukiWiki1.5.4対応と共に対策を考える予定
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