管理人的親不知讃歌/20200211/初代ミー造の思い出

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管理人的親不知讃歌

2020/02/11

初代ミー造の思い出  

母がネコ好きだったせいか、私が物心つく頃には家にネコが居るのが当たり前だった。もっとも、突飛な行動をして突然奇声を上げる幼稚園児な私にネコは懐いてはくれなかったが、朝起きると布団の中や枕元にネコがいるのは、幼心に嬉しかった記憶がある。
父が奮発して中古の一軒家を購入したのは私が小学校2年生になった頃だから、あれは小学3年生の頃だったと思う。学校から帰って近所で遊んでいると、ダンボールに入った子猫が捨てられていた。見ると茶トラのオスと三毛のメスで、生まれてすぐぐらいのようだった。
ウチで飼おう!」珍しく愚弟と意見が一致するや、自宅に持ち帰って飼うことになった(母は明らかに喜んでいたがそれを隠し、父は明らかに酔っていたがシラフのフリをして「動物を飼うと言うのはだな」と、もっともらしいことを言いながら、その実、買ったばかりの家がネコに荒らされるのを嫌がっていたようだ)。
どうしてこの名前にしたのか?は、今となっては判然としないが、私は「ミー」と名付けた三毛を非常に可愛がり、愚弟は「タマ」と名付けた茶トラを非常に可愛がった。
ミーはメスの割にお転婆で元気が良く、タマはオスの割に静かなネコだった。なので、私は「ミーはメスなのにオスみたいだから、ミー造だな」と言っていたし、父は刺し身やサラミで一杯やりながらミーが寄ってくると「おお、ミー子ミー子」と抱いてはガシガシ可愛がっていた(だからミーとしてはツマミのご相伴には与りたいが、父に抱かれるのは好きではないようだった)。タマはタマでされるがままに任せるネコだが、ある一線を超えると低く「ウー!」と唸って抗議するので、そういった意味でも分かりやすく、賢いネコだった。

かつて一緒に生活していた「タマ二郎」ことタマに教育的指導(悪さをすると食うど?)をする管理人

今でも良く覚えているのは、私が余りに朝が苦手で起きないので、業を煮やした両親が大きな目覚まし時計を私に買い与え、いわく「コレで自分から起きろ」とのこと。それでも二度寝することを覚えた私には、あまり意味がなかったと思う(愚弟は私の目覚ましの音で勝手に起きていたから、そういった意味では有効だったのかも知れない)。
ところが、新しい目覚ましが私を起こすことになる。常に私と一緒に寝るミーが時間になると布団の中から這い出て、私に頬ずりして起こすのだ。それでも中々目を覚まさないと見るや、今度は私の顔の上を踏んづけて右に左に何往復もする。流石にそうまでされて起きない少年の私ではないから、仕方なく起きて「ミー造、おはよう」と言うのが毎朝の儀式であった。起き上がる私とは反対に、「ひと仕事」を終えたミーは再び布団の中に戻って寝るのが常だった。
ひとつ困ったことにミー造には曜日感覚がないので、日曜日の朝も同じように起こす。「今日は日曜だよ、寝かせれ」と言いながら頑として私が起きないと、ミーは「あ、今日は起きなくて良い日なのか」と察して(?)再び一緒に寝るのだが、たまに私が完全に目を覚ますこともあるので、日曜の早朝から二度寝もせずに起きるハメになったりもした。起こした責任として、ミー造を寝かせないのは言うまでもない(笑)。

さて、『トラジマのミーめ』を買ったのは、確か中学生の頃だったと思う。当時、松本零士先生がネコ好きで「ミーくん」なるキャラクターがいるのは知っていたが、こんな作品があるとは知らなかった。

トラジマのミーめ

実は私が中学に進学する寸前に、我が家の「ミー造」ことミーは行方不明になった。
何日も何日も、学校から帰宅するやミーを探し歩いたが、ついに発見するに至らず、切ない夜が続いたのを覚えている。母は「ネコは自分の最期を飼い主に見せないものだから」と言っていたが、「ひょっこりミーが帰宅するのではないか」と淡い期待ばかりしていたものだ。それからほどなくして、この『トラジマのミーめ』を購入したのだが・・・。
今回、『トラジマのミーめ』を本サイトに展示するにあたり、久しぶりに再読してみたが、当時のミーを思い出して辛くてかなわなかった。それと、読んでいてやはり思うのは(令和の現代において、平成をぶっ飛ばして昭和の常識をウンヌンするつもりはないが)、未だに馴染めない「飼いネコの常識」がある。

ネコの寿命を考えれば常識」なのは分かる。
しかし、飼いネコとは言え狭い自宅にその一生を閉じ込め、太陽の下で大地を駆け回る自由を奪うのは、人間のエゴではないだろうか。
人間サマが食べてウマイものは、おネコ様にとってもウマイのは当然で、それを与えるのを頭から否定するのはどうなんだろう?と思う。
魚のアラや刺し身の切れっ端、刺し身のツマを多少飼いネコに与えたところで、タチドコロに寿命が縮むワケでもあるまい。むしろ、「同じメシをシェアする」一体感が、昔はあったように思う。面倒でも可愛い飼いネコのために「ネコまんま」を作ってやり、「ウマイか?」と撫でてやるぐらいの愛情があってもいいハズだ。
トラジマのミーめ』にも飼いネコを捨てる描写があるが、ネコが飼いきれなくて捨てるのは今も昔も変わらずにある現実なのに、ネコを飼ったらその自由を奪うような「常識」ばかりがヤカマシク言われるのは、一体ナゼなんだろうか。

ミーくん

先日、「最期は笑って死ねるような人生-松本零士的生死観」を書いたが、「とにかく若く健康で生きたい」という人間のクダラナイ願望を、飼いネコ(別にイヌだって良いが)にスライドさせて自己満足して良いのだろうか。
自分自身がそうであるように、飼いネコだって「自由に生きたい」だろう。たとえそれで長生き出来なくても、そもそも自分を含め寿命なんて誰にも分からないのだから。
初代ミー造は自宅で亡くなったワケではないし、完全室内飼いではなかったから、一般的にみて長生きではなかったろうと思う。それでミー造が後悔しているなら別だが、私はいつまでもいつまでも、ミー造のことは忘れない。

いつか、私が現世を去り、初代を含め歴代のミーやタマに再会出来れば嬉しい。
松本零士先生にはそういった作品もあるので、追々「展示」のついでにこうして紹介出来れば、と思っている。