管理人的親不知讃歌/2021/0410自称「駄文家」について

Top>管理人的親不知讃歌>2021>0410自称「駄文家」について


タグ管理人的親不知讃歌, 2021(令和03)年, 自称「駄文家」について, 雑文家, PukiWiki, ライブラリ開発, プラグイン開発


 
管理人的親不知讃歌

2021/04/10

自称「駄文家」について  

年明けからずっとPukiWiki関連のライブラリとプラグイン開発や、pixivFANBOXといったファンビジネスサービスに注力しているので、ほぼ本サイトに関して放置となってしまっている。
それでも有り難いことに、Twitterではサイトの更新を待っていてくれている(と、勝手に思っているのだが)フォロワーさんや、日々本サイトに訪れてくれている人がいるのは、ハッキリ言って有り難いし嬉しい
引き続き、昨年Facebookページに書いて発信していた「解説のようなモノ」の文章をアレンジして展開する予定なので、それは安心して気長に待っていて欲しい(笑)。
本稿はちょっとしたコーヒーブレイクのようなモノなのでw

以前にどこか、多分自分が運営しているサイトの記事で書いたと思うのだが、私の本職はSE(システムエンジニア)であるので、「SEとは仕組みを作り、その仕組みをコンピュータシステムで実現する人」と書いた覚えがある。
仕組みを作って実現した先に何があるのか?と言えば、それは企業が使うエンタープライズ用途のシステムであれば、直接売上と利益に貢献しなければウソであるし、社内の就労管理なのか、顧客管理なのか、それは開発するシステムによって違う。
が、私のようなITの専門家は個々の企業が展開している業務の専門家ではないから、どうしたって「仕組みを作り、その仕組みをコンピュータシステムで実現する」ところまでしか関与出来ない

何が言いたいのかと言えば、本サイトを立ち上げる以前から、PukiWikiによるWebサイトを構築して運用し、一般の人に見て貰えるまで、様々なライブラリやプラグインを開発する必要があった。
ライブラリ開発は特にそうではあるが、それ以外にもPukiWikiを独自に改造する必要がある。
それらは「仕組みを作り、その仕組みを実現する」ことであって、このようなサイトのコンテンツ(駄文)とは全く別の仕事であり、労力であり、工数である。
非常に簡単に言えば、文章が書ける人=コンテンツが作れる人は、私のように苦労してPukiWikiで余計な開発をするよりかは、無料のブログサービス(特に最近はnoteがイケてる)や、独自ドメインでサイト運営をしたければWordPressでやればいいだけの話なのだ。
この辺に関しては(まだPukiWiki用リンクプラグインを開発していないからページ表現がイマイチだが)、次の私のnote記事を読んでいただければ、私の「思い」は伝わるかも知れない。

保守活動の情報共有としてのWikiシステムの可能性
※画像をクリックすると別窓で記事に飛びます

あれは4年ほど前だったろうか?
ある保守系の勉強会に出席し、主催者の方と私は面識があり、人手不足で私が急きょ受付をしたが、勉強会の後に打ち上げがあった。
私としてはその勉強会での知人がほぼいないし、別に打ち上げで自分の名前を売るツモリはなかったが、名刺交換をさせていただいた一人に、保守言論人として著名な方から「雑文家」の名刺を貰って、ちょっと衝撃を受けた。
裏には著作を列挙してあるので、文筆人なのは間違いがないのに、あえて「雑文家」とはシャレてるな、と。
その当時(正確に言えばもっとずっと前から色々やっていたが)、自分でWebサイトを運営して記事を書いていたので、「じゃあオレは駄文家だな」と思い、あえて自分の記事は「駄文」だと言うようにしている。

本職がSEだから、その言い訳をしようというミミッチいコンタンは私にはない。
その「雑文家」はプロの文筆家なので、例えばFacebookで「こんな長文、誰が読むんだよ?」と毎度ながら思いつつも、最後まで読ませるプロだ。
ある意味で実にモッタイナイとは思うが、そのようなプロに、私ごときが太刀打ち出来るハズがないし、実はそういった「知られざる文章のプロ」は多いのだ。
私は冒頭に述べたように本職がSEなので、Webサイトの記事として「読んで貰える」仕組みを作り、自分でもこうして駄文を書いているが、所詮はそれでも「なかなか読んでは貰えない」レベルでしかない。
ゆえにネットでは「駄文家」が、私にはピッタリ来るように思うのだが、どうだろうか。
どうもクソも、こうして読んでいただけるだけで、十分だ。